「…ヴェーダを、人間なんかと一緒にするな」
 突然立ち止まって、ぼそりと呟かれた言葉には、嫌悪が隠されることなくあらわされていた。ヴェーダと呼ばれたそれに対する誇りと、その名を軽々しく呼ぶ男への憤り。ロックオンは、自身の背筋が、すうと凍るのを感じた。孤高の花、鋭いナイフ。スメラギが例えたそれを、もう一度繰り返してみる。
「聞きたいことがあるのならば、俺ではなくハロに聞いてください」
 ハロ?とロックオンが聞き返す前に、ティエリアは彼に向ってオレンジ色の球体を投げつけてきた。ティエリアにはもう、ロックオンへ口を開かせるつもりはないらしい。唖然として彼を見つめるロックオンの腕の中で、ティエリアに投げつけられた球体が回転しながら高い言葉を発している。「ティエリア、イタイ、ティエリア、イタイ」痛いのはこっちのほうだ。
「ヴェーダが推奨したガンダムマイスターなので、間違いがあるとは思いませんが…、あなたが本当にソレスタルビーイングにふさわしい存在かどうか監視させてもらう」
 痛いと喚き続けるハロと呼ばれた球体を撫でていた。ティエリアの言葉に、ロックオンは顔をあげる。彼の目は監視者というより処刑人のようだ。
「人間は信用ならない」


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「あなたは復讐のためにガンダムに乗っているのか?」
 背中からかけられた声に、ロックオンは心臓をつかまれたような気さえした。あなたは復讐のためにガンダムに乗っているのか?ああ、見透かされている。取り繕おうと言葉を選ぶけれど、ここで嘘をついても意味がないような気がした。息をはいてゆっくりと答える。
「イエスでもないしノーでもない。ティエリアは怒るかもしれないけど、本当にそうとしか答えられないんだ」


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「ティエリアは怖くはないか?失うこと…そうだな。たとえば、ヴェーダを失くしたとしたら、」
「ヴェーダがなくなる?何を言っているんだ」
「例えばの話だよ」
「…ヴェーダは絶対になくならない。俺を導いてくれる。なので、想像ができない」
 たとえば、をできるだけ強調して言った。ティエリアの中には絶対に揺らがないヴェーダへの忠誠があって、それは彼の―――おそらくとても乏しい―――想像の中でさえ、なくなることがないようだ。けれどロックオンは知っている。この世界に絶対はないということを。あたりまえのように存在するものが突然なくなってしまった時の、絶望を。
「そしたら、ヴェーダじゃなくてもいい。たとえば俺が死んだらどうする?」
「…あなたが死ぬことは、トレミーに甚大な被害を与えるでしょう。ヴェーダの指示に従って、新たなマイスターを、」
「そうじゃないよ」
 予想通りの答え方だった。けれど、ロックオンがきいたのはソレスタルビーイングのティエリア・アーデとしてではない。たったひとりのティエリア・アーデとしての感情だ。
「それじゃあ機械と変わらない。人間には感情があるんだ。俺が死んだら、ティエリア自身はどう思う?どう感じる?」
 ティエリアは黙ったまま、彼の瞳を見つめていた。何かを考えているのかもしれないし、呆れているのかもしれない。
「俺はさ、もしティエリアが死んでしまったらかなしいよ。そしてそうやって失うことを恐れている」


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 彼は無知の少年だった。触れれば触れたとおりに反応を見せたし、戸惑いも隠していなかったし、全てに意味を持たせようとした。「自分の身体に何も侵入させたくはない」と途方にくれたようにしていた彼を、やさしく抱きよせて「大丈夫だ」と言った。何が大丈夫で、何が大丈夫ではないのか。駄目な大人は、そう言った問いかけを口づけの中に隠していく。
 ティエリアを抱くときにおこる様々な感情の中に、優越感が含まれていることに、ロックオンは気がついていた。気丈なふるまいをしていた、あの美しい少年が、彼の下で喘いでいるのだということ。それはロックオンをひどく欲情させたし、一方で罪悪感でみたしていった。
勝ち負けとは何だろう。


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「ロックオンの右目を奪ったのは僕だ」
 ティエリアの独白は突然はじまる。ライルはそれを黙って聞いていた。少年の赤い目は、不安に揺れている。
「ロックオンは僕をかばって怪我を負った。僕が彼の美しい瞳を、狙撃手の命を奪った。どう考えても彼は出撃できる状況ではなかった。それをとめられなかったのも僕の責任だ。その状態のまま、彼は自分の仇と対峙して、そして、」
 彼が生んだ沈黙のなかで、兄はゆっくりと死んでいくのだろう。それはおそらく、この四年間でなんども繰り返されたはずだ。
「すまない、あなたの大切なご家族を奪ったのは、僕だ」
「それで?何でそれを俺に伝える?」
「何で…」
「そういうことはさ、言わなくてもいいんだよ。世の中には知らなくていいこともある。それもたくさんな」
「だけどそれでは、」
「納得できない?」
 微笑みながら続けるライルに、ティエリアはとうとう返す言葉をなくした。
「お前が、納得できないんだろ?」
 愕然とした表情の少年は、普段よりずっと幼くみえた。ああ、彼はまだこどもなのだと、ライルは思う。