あつい、あつい、夏の日だった。 セミたちが騒々しくなきさけんでいる。セミと汗と涼宮ハルヒだけがこの世界に存在していた。彼女は夏があまり好きではなかったが、暮れてゆく夕日は彼女の髪をうつくしく染めている。にじまず、染み入るような橙。しかし、険しい表情で立ち尽くす彼女はそれを知ることはない。手は強く握られ、大きな目はかなしそうにゆがみながらも何か―物体や概念などでは言い表せない何か―をにらみつけ、烈しい感情たちが熱となり全身を包んでいる。今にも叫びだしそうで、泣き出しそうで、どこかで途方にくれているうつくしいこどもだ。 愛情を知らないわけではないが、ハルヒは世界でいちばん孤独なこどもだった。家族にも、友人にも愛されて育ったと彼女は自覚している。それでも、彼女は孤独なのだ。愛情に触れたとき、幸福になる反面、すうん、と自分以外の世界が落ちてゆくのを感じた。愛されている、けれど満たされない。それは、底のない器にゆっくりと水を流す行為に似ている。 それでも、ハルヒはそれに目をつぶりながら毎日を過ごせていた。彼女なりに状況を打開しようともがき、くるしみ、疲れ、ねむる、というループを繰り返す。何も考えなければ、いいのだった。考えなければ、こどくを無視することができる。 七夕の日に出会った奇妙な男は、そういった彼女の努力を、すべて無にしてしまった。無にしてしまったのだ。その男は、彼女に永遠のこどくを再自覚させ、世界をかえてしまった。衝撃と新鮮、理解と安心、不安と恐怖というような、同じようで矛盾した思いをそれぞれ内包し、ハルヒにつきつける。ごまかしごまかしで過ごしたこどくを、彼は鮮明なものにかえてしまったのだ。彼はハルヒを慈しむように微笑みかけながら、絶望へとつきおとした。それはとても残酷で、とても優しい行為だった。ハルヒがあの夜、泣きそうだったのは、達成感からか、幸福感からか、恐怖からか。ぬめるような感情が、彼女の首をやさしくしめている。ゆっくりと、夏の夜へおちてゆくようだった。 それでもハルヒはそのとき、殺さないで、と願えなかった、そして、願わなかった。 彼女は知ったのだ。世界は別に、私のためにあるわけじゃない。 決意したハルヒはしゃがみこみ、素手で地面を掘りだす。爪のなかに土がはいりこんだ。そんなことは全く気にとめず、じゃりじゃり、とただ掘り進める。彼女は埋葬しなければならなかったのだ。無言でただひたすら掘り進めていく行為は、まるで神への懺悔のようだった。彼女は神を信じない。土はひんやりとハルヒの白い手を包んでゆく。深爪ぎみにきりそろえられた爪が、よごれている。夕日は髪だけではなく、彼女の横顔も彩った。火のなかで、彼女という存在だけがそれに染まることはない。 ある程度の深さまで掘り進めると、彼女はおもむろにその穴に入り込んだ。そのまましゃがんで、目をつぶりじっとする。ぎゅう、とまるくなっているその存在は、胎児によく似ていた。彼女の頭の中には、たくさんのものものが溢れている。わたし、男のなまえ、こどものわたし、男の横顔、いつか出会えるはずだったおとなのわたし、そして、この美しい世界。ひんやりとした土たちがハルヒの細い身体をつつみこむ。彼女が必死にほりすすめた穴は、墓場になったのだった。参列者はセミたちだけのさみしい葬式。 どのくらい時間がたったのだろうか。彼女はゆっくりと目をひらき、立ち上がった。穴よりはいでると、全身についた砂に構うことなく、再びしゃがみこむ。そして今度は穴―つまり墓場―を埋めだした。埋葬した何かが、決してでてくることのないように力をこめて、小山をつくっていく。彼女は頭のどこかで、小さいときにした砂遊びについて考えている。 さようならこどもの私、いつか出会えるはずだったおとなの私。心で自分自身に決別し、彼女はそれを埋めていった。やさしく、でも強く、埋葬する。二度と、出てくることのないように、しっかりと。さようなら、さようなら。多分きっと、愛していたのよ。 ハルヒの姿は、決して死者がよみがえるような感じでもなく、かといって生まれ変わったわけでもなかった。結局のところ彼女は何も変わっていないのだ。葬式は、行為としては終了したものの、実質はともなっていない。しかしそれでも、その、ままごとのような葬式は、彼女を完全にかえてしまった。彼女はもう、戻ることはできない。 そうして彼女は、大人でもこどもでもない、永遠のわたしになった。汗がじんわりとにじんでいる。涼宮ハルヒ、汗、そして。 セミの声はいつのまにか聞こえなくなっている。参列者は誰もいなくなっていた。 葬式 (3年前ハルヒ/20080311) |