夢をみている。
森園生は街に立っていた。時刻はわからないが、街は暗く、しんとしている。人はひとりたりとも見当たらないのに、どこかじんわりとしていて、彼女は汗をかきそうになってしまう。閉鎖空間かもしれないしそうでないかもしれない。
彼女は夢の中で高校生だった。紺色のセーラー服のスカートは丈が少しだけ長い。3年前の自分。不自然さは感じなかった。だってこれは夢なのだから。森は自らが夢を見ていることを自覚している。

何かにしめされたかのように前を見ると、暗闇から一人の少女が登場した。涼宮ハルヒ。森の所属する『機関』が保護し、神とうたわれる少女。彼女の黒い髪は暗闇と同化していて、まるで溶けているように感じる。森は自分の髪も同じく闇と同化しているかどうか気になったが知るすべはない。じっとりとした二つの目が、彼女を射殺すように捕らえている。暗闇の中で輝く水晶のようだと思った。

森は3年前の自分を思い出す。高校最後の夏。友人との帰り道、バス亭にさしこむ夕日、志望校、好きだった吹奏楽部の男の子、お気に入りのヘアゴム、少しだけあがった成績、おべんとうの中身、はじめてひとりで入った喫茶店、夜中に聞いたラジオ、非常階段、英語の小テストの結果、机の上のらくがき、ピンクいろをした器のコロンのかおり、おとうさん、おかあさん。淋しさに似た、二度とあうことがないものものへの感傷が彼女をつつんでいく。陳腐でばかばかしいものたち。森はそれらを切り捨てていくことで、自分の身に起こってしまったことを受け入れた。墓場に埋めて、二度とあうことのないようにと。それでも確かに、彼女はそれらを愛していた。にくいくらい、愛していたのだ。それを奪ったのは、
「あなたよね」
自然と口から言葉はでていた。独り言なのか、涼宮ハルヒへの非難の言葉なのか、彼女はわからない。涼宮ハルヒはその言葉には反応せず、森をみつめている。再び世界は無音に戻る。


「殴っても、いい?」
自分が今、どんな表情をしているのかわからなかった。涼宮ハルヒは森を見ているはずなのに、二つの水晶玉に彼女の姿はうつらない。うつりこむすきなど、全くないようだった。心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、森は涼宮ハルヒをずるい子だと思う。
涼宮ハルヒがはじめて口を開く。ゆっくりと、しかし意思のあるような強さで。口を動かすタイミングと、彼女の凛とした声は、タイムラグがあるように森は感じた。三半規管が麻痺しているのかもしれない。
「どうぞ」

森は足を進め、平手で涼宮ハルヒの頬を叩く。パチン、という高い音が暗闇に響く。音は宙を舞い、ゆっくりと、しかし一瞬のうちに地面へ沈んでいく。森は耳を塞ぎたくなるが、手は自らの耳ではなく、涼宮ハルヒの頬に向けられた。何度も、何度も。まるで水を叩きつけているようだと思う。いくら叩いたところで、何にもかわらないのだ。パチン、パチン。叩く度に森の目からは涙が溢れていく。最後に泣いたのはいつだっただろうか。涼宮ハルヒは何度はたかれてもびくともしない。何をしているのだろうかと思うが、もうとめることはできない。手が熱を持ちはじめ、焼け落ちてしまいそうだった。嗚咽がとまらない。手が痛い。視線が痛い。胸が痛い。どうして。崩れるようにして、彼女は涼宮ハルヒによりかかる。熱くなった手を強く握り、そのまま涼宮ハルヒの身体を叩いた。それでも涼宮ハルヒは、何も言わず、じっとりとした目で森をみつめている。やはり彼女は神なのだ。強く、かわいそうな 私の神様。彼女は森を救済しないし、赦さない。



まわりはまだ薄暗かったので、森は自分が目を覚ましたことに気がつくまでに時間を要した。時計の針は4時をさしている。涙は流れていなかったが、手は燃えるように熱かった。
あの夢は何だったのだろうか。彼女はすぐに考えるのをやめてしまった(だってそれはあまりにも無意味な行為だから)が、あそこは世界の終末だったように感じた。いつか世界が終末を迎えることがあったとして、その時はまた涼宮ハルヒを殴打するのだろうか。それも森はわからなかった。携帯電話は鳴らない。世界は今日も、平和だ。




帰ろう
(森さんとハルヒ/20080102)