「なあ、ティエリア知ってたか?」 ともに展望台のガラスの先に見える星たちを見つめていた。ロックオンはティエリアの隣に立ったまま、突然思い出したかのように口を開く。ティエリアがちらりと彼の姿へ視線をうつすけれど、ロックオンはやはりその先にうつる星をみつめたままなのだった。 「あれな、きらきら光ってるやつ、本当は全部お菓子でできてるんだぜ」 そう言いながら、手袋のつけられた細い指で星たちをひとつひとつ狙って撃つような動作をしていく。戦場でそうするようにではなく、よく彼がふざけてそうするように。ロックオンが得意気な顔でティエリアのことを見るけれど、彼は彼でそういった夢でもみているような男の発言に、すっかりしらけきってしまったような顔をしている。 「いや、そんなドン引きすんなって…」 お兄さん傷ついちゃう、などとちゃらけてみせながら、ロックオンは笑った。宙に舞うお菓子をひとつひとつ狙い撃っていた手で、ティエリアの髪をそっとなでる。 「冗談のつもりなんだか知らないが、僕でなくても同じ顔をするでしょう。あれは星だ。デブリだ。メテオロイドだ。どうして人間は地上にはないものに夢を這わせる傾向があるのか」 「そりゃあ、手が届かないからさ」 ティエリアが話続ける間、ずっとその髪を撫でていた手を離し、ロックオンはそれをじいっとみていた。愛おしむように、なつかしむように、小さく途方にくれるように。 「ティエリアの言う通りだな。でも、あれは全部お菓子なんだって。お砂糖、スパイス、素敵なものって具合にさ」 どうしてロックオンがこんな、おとぎばなしのようなこどもじみた話をしているのか、ティエリアには到底理解できそうになかった。彼は時々、そういった幼い面をみせることがある。小さなこどものように夢のような冗談を口にしたり、だらしなくティエリアに甘えてみせたり、少年のように微笑んだり、途方にくれたようなふりをしたり。それらの行動はティエリアには理解できなかったし、時に彼を不愉快にさせることもあった。だけど、ティエリアは知る必要があったのだ。ロックオンを。ロックオン・ストラトスを通して、人間といういきものを。 「…あなたの言う、その菓子とは何なのだろうか?」 「お、ティエリアもそういうの信じるか!かわいいなあ〜」 「…もういい」 人間を知るために必要な行為すらも、さらりとかわされ、ロックオンはまるで冗談の延長のように笑った。わざわざあなたに付き合った僕が愚かだった、と彼から視線を外したティエリアは、ロックオンから少し離れた場所で、再び星をみつめる。目を細めても、開いても、それは星以外にはみえないのだった。 なあ、すねるなって。ロックオンが後ろから抱きつくようにして、ティエリアに言う。そのまま彼の耳にゆっくりと唇をよせた。拗ねてるわけではない、と訂正した言葉はロックオンの微笑みに吸収されていく。ティエリアを抱き寄せていたその手で、彼は再びそれらを指さしはじめた。こどもにするようにゆっくりと、腕のなかのティエリアに教えていく。 「何でもあるよ。ビスケットに、キャンディーに、チョコレートに、マフィンに、ほら、あそこにあるのがドーナツだ」 「そんな適当に指さされてもわからない」 呆れながら、ちらりとロックオンを見つめるティエリアに、けれど彼はやはり微笑んだまま言うのだった。 「どれもこれも甘いんだ。すっごく甘いの。それにいくら食べてもなくならない。みんな幸せだ」 遠くを、眺めていた。ロックオンは、目にはみえていない、そのもっと向こう側を見つめている。ティエリアは、そのとびきり甘いというものたちをさししめす指に自らの指をそっと重ねた。抱きよせる力を強めようとしたロックオンが、けれどそれをやめてしまったのを、彼は知らない。 「食べさせてやりたいなあ」 そう言って、ロックオンはやはり笑うのだった。こどものように。動物園の檻のなかのライオンのように。あの頃のように。 *** 「あれはすべて菓子類でできているそうだよ」 窓のそとの星を指さして、突然さらりとそんなことを言うティエリアに、ライルは口をあけ、ぽかあんといったような表情をしてみせた。そして以前彼がそうしたように、しらけきったような顔をする。 「君の兄がそう言っていた」 「…弟としてものすごく恥ずかしい」 くすくすと笑って、ティエリアは彼のことを思い出していた。彼の兄のこと。好きだった男のこと。もういなくなってしまった死人のこと。 彼のそういった冗談を、もうすっかり距離が離れてしまった今なら、少しだけわかるような気がしていた。笑って冗談をいったこと。甘やかすように抱き寄せたこと。そっと唇をよせたこと。それらすべてが、彼の孤独を押し隠していたのだろう。だからそれらは時にティエリアを苛立たせたのだろう。彼はその度に笑ってごまかしたのだろう。 けれど。理解はできなかったけれど、ティエリアはそれが嫌いではなかったのだ。 「あの時、彼は僕の前でそれらを食べさせてやりたいと言った。結局それはかなうことはなかったけど」 相も変わらず盛大に引いてしまった顔をしたライルに、ティエリアはなつかしむようにして続ける。すう、と、のばされた指はガラスの先の向こうの星をなでた。 「でも、今思えばあれは僕に向けた言葉じゃなかったのだと思う」 ティエリアが、たとえ誰が隣にいても、永遠に孤独だった人。他人が立ちいることを許さなかった人。愛のことばを囁きながら、結局ティエリアのことなど見てくれてはいなかったであろう人。彼がおもっていたのは、いつだって過去だった。 彼によく似た顔で、けれどライルは笑ってはくれないのだった。それは憐れみだったのかもしれないし、もっと別の感情だったのかもしれない。彼は弱ったようなあいまいな表情でティエリアをみつめている。しばらくそのままふたりは黙っていたけれど、やがてライルはぐしゃぐしゃ、とポケットの中をあさると、ティエリアの手にそれを握らせた。 「やるよ、これ。甘くないけど」 それは彼が禁煙対策のためにと最近よく舐めるようになったレモンのキャンディーだった。自分のぶんのそれも口に放り投げてしまうと、ライルは促すようにして、ティエリアに向けて肩をあげてみせる。じっとその包みを見つめていたけれど、ティエリアもそれに内包されていた、きいろく、透きとおったキャンディーを口のなかに放り込んだ。ゆったりとした甘さもあるけれど、それは何だかとてもすっぱい。ころころと、深夜に与えられた小さなおやつは、口のなかで少しずつ溶け始めていく。 ふたりはそのまま何も口を開かず、ひたすら口の中で星をころがしているのだった。 午前3時のおやつ (ロクティエ・ライル/20090314) |