こちらマリー。こちらマリー。ソーマ・ピーリス、きこえますか、きこえますか。
私がそうやってまるで通信だとでもいうように呼びかけると、私のなかにいるソーマはふ、と少しだけ微笑んだようだった。けれど彼女は私のようには返さない。聞こえている、と大人びた声でそう言うのだ。私はそういう、ソーマの反応がとっても好き。
目を閉じればいつだって、私にはソーマの姿がうかぶのだった。自分と同じ姿かたちをしているのに、自分とは一線をおく存在。わたしは、自分の姿をみたのがつい最近だったので、何だかそれは不思議なことのように思える。まるで異種間交流のようだ。鏡のなかからはいつだってソーマが、私に笑いかけてくれる。つい嬉しくなってしまって、私は彼女に話しかけるのだけど、その度にソーマは私をたしなめるのだった。それは私ではなくてあなただと。
目をとじた暗闇のなかをコツコツと歩いて行けば、彼女とは必ずそこで出会えるのだ。ソーマは、赤い革でできた椅子に座って、暗闇のなかでひとりきりでいる。その椅子は、まるで彼女のためにつくられたのだというように、ソーマのすべてに調和していた。彼女はいつでも、凛然としていて美しい。ソーマは、私の瞼の裏に住んでいる。
「ふふ、こうやってお話相手がいるのって、何だかとっても素敵なことね。何時間でも何日間でも話してられる気がするの」
話を聞いてもらって、話を聞いて、相手と交流して理解しあうって、なんて素晴らしいことなのかしら。私がそういって、心からの感謝の気持ちを口にすると、ならば彼と話していればいい、と、彼女は言う。ソーマは少しだけあきれたように微笑んでいるけれど、でも彼女の感情にはいろいろなものがうずまいているのだと私は知っている。それは脳量子波のためではなく、わかってしまうものなのだった。私たちは時に、言葉を使わずに会話することができてしまう。それは便利なようで、本当に不便なことだ。
「ねえ、ソーマはアレルヤのことが嫌い?」
何気ない質問のふりをしながら、私がたずねる。彼女は何も答えない。けれど彼女の顔からはどんどんと表情が消えていって、その金色の目で私をじっと見つめたままでいる。
私はアレルヤのこともソーマのことも、心から愛している。大切だし、失ってしまってはいけない存在だということもきちんと理解している。わかっているけれど、それを実行にうつすのは時にひどく難しい。私たちが住む世界は、そんなに単純にはできていない。
「ごめんなさい、また、あなたを困らせるような質問をしてしまったわね」私は言う。「でもね、彼は、ほんとうにやさしい人よ」
私も、なぜだか悲しそうに微笑んでしまった。それは、アレルヤがよくみせる表情だ。彼のこの表情をみると、私のなかには、愛おしさや慈しみ、かなしさや切なさが溢れ出てきてしまう。ソーマはどうなのだろうか。私のそんな表情をみて、何か思うことがあったのだろうか。彼女の感情をさぐろうとするけれど、まるでシャットダウンされたコンピューターのように、無言のまま、何も答えてはくれない。

あなたには、幸福になる権利がある。そしてそれを奪う権利は私にはない。
「でもあなたにだって幸福になる権利があるわ」
まるで用意されていた台本のセリフをすらすらとよみあげるように、私たちは言葉をつなげていく。それらの言葉たちには深いつながりや連続性があるようで、もしかしたらないのかもしれなかった。そのことをおそろしく思った私は、彼女の手をぎゅうと握りしめる。
時々考えるんだ。と、ソーマは続けた。私はあなたの身体を乗っ取って、眠りにつくあの男の上にまたがり、ひと思いに殺してやりたいと。彼が私の同胞たちにそうしたように、その脳髄を、肺を、胸を、目玉を、撃ち飛ばしてしまいたいのだと。
私はいう「こんなことを言ったら、あなたは怒るかもしれないけれど、ソーマはアレルヤによく似ているわ」
ソーマはいう。似ている?
私は再びいう「ええ。誰よりもやさしくて、私を守ろうとしてくれるところが」
ソーマは自嘲気味に笑う。私がいま言ったことを聞いていたか?
私は繋いだままの手を強く握る「だってあなた、そうは言うけれど、それをするつもりないじゃない」
ソーマがまるで絶望につかりきって死んでしまいそうな顔をするので、私も死んでしまいそうな気になってしまう。

あなたこそ、機関を、私を憎んでいないのか?
「…どうして?」
私があの男を憎むように、あなたが私たちを憎む理由がある。正当な。
「私はあなたのことも機関のことも、憎んだことは一度もなかったよ」
…一度も?
「ええ。むしろ感謝しているわ。私はすべてのことに感謝しているの。だって、機関がなければ私たちは生まれていなかったし、アレルヤとも出会えなかった。あなたがいなければ私は孤独で死んでしまうところだったし、ほんものの愛情も知らないで、すべて机上の空論になってしまうところだった。あなたがいたから、私は生きることに、神に、すべてに感謝できるのよ」
だからありがとう。そういって感謝のことばを伝えると、ソーマの目からはぽろぽろと涙がこぼれおちてきた。暗闇のなかで、プリズムのようにひかって、ふわふわと宙に浮くそれは、まるで星たちのようだった。
「ごめんなさい、あなただってしあわせになりたかったのよね。ねえ泣かないで?私まで泣いてしまいそう」
ねえ私たち、もっとうまいやりかたってなかったのかしら。

「私があなたを幸せにしてみせるから」
だからごめんなさい、今だけは、許してちょうだい。
私はなんてよくばりなのだろうと思う。自分の幸せも、ソーマの幸せも、アレルヤの幸せも、もうひとりのアレルヤの中の人格の幸せも、ソーマが慕ったあの人の幸せも、そして世界の人々の幸せも、みんなのぞんでしまうのだ。それがかなうはずはないのだと、どこかで知っているのに、私はそういうことばかりのぞんでしまう。
そしてそれなのに、わたしは、やっぱり自分の幸せを選んでしまうのだ。わたしは、とてもずるいいきものだ。
みんな幸せになりたいだけだ。そう自分を責めることではない。
それは私の心のなかの声を呼んだのか、彼女自身にあてられた言葉なのか、それ以外の意図を持っていたのか、私にはわからないし、だからといってそれをたずねようとはしないのだった。

私たちはふたりで生きていて、そして死んでいるようだ。まるで共存しているかのようにみせかけて、実はきっとそうではないのだろう。眠る、だなんてずるい表現だとおもう。この肉体は生きている。私たちだって生きている。けれど、私がこの肉体を意思をもって動かしたりすればするほど、ソーマはよりいっそう、無に近づくのだろう。
私たちは、どうして別々にうまれてこれなかったのかしら。
どちらがよかったのか、おそらくこの先永遠に、ふたりは答えの行方をみつけることができないのだと、私は頭のどこかで考えている。
ねえ私たち、もっとうまいやりかたってなかったのかしら。



今日もわたしは、手で電話をかたちづくってみせて、そしてわたしへと話しかける。
リンリンリーン。ハローハロー、もしもし?きこえますか?




訪問
(マリーとソーマ/20081122)