ライルがゆっくりと目を開くと、そこにうつりこんできたのは彼が最後にみたモビルスーツの影や無言で見つめ続けている星たちではなく、死んだようにそこに存在するだけの無機質な天井なのだった。白のまぶしさと、圧迫感、そして彼の身体の内側から波のようにおしよせる圧迫感に、ライルは再び目をつぶり、そしてゆっくりと開く。今度は、無意識ではなく、意識的に、命令するように。
どうやら自分は戦闘中に負傷し、そして「仲間たち」に救出されたようだ。ライルはおぼろげにかすんだ頭のなかでその事実をゆっくりとつかみとった。薄い布団の中で、右手と左手の感触があることを確認し、首をそっと動かす。痛みがのこるのは胸のあたりなので、おそらく自分が今後テロリストとして生きていく上で問題はなさそうだった。
かちゃかちゃ、と、器材を動かす音が耳まで届き、ライルはその方向へゆっくりと目を向けた。その音の先にいるのは、ハロと、そして先日てきとうな理由をつけ、思い切り傷つけたフェルトという名の美しい少女だった。そういえば、彼はトレミーの中で医師を紹介されたことはない。
フェルトはまるで、聖母とでもいうように、美しいかたちで微笑みをつくり、ハロに笑いかけている。その笑顔が自分に向けられることは、おそらく永遠にないのだと思いながら、ライルはゆっくり口を開いた。
「フェルト、っつったっけ?」
自分の声が思ったより弱々しかったので、彼はなんだか驚いてしまうのだった。落ち着かせるために、ふう、とため息をついて微笑みをつくってみせる。フェルトはその様子をじっと見つめていた。微笑みは、彼には向けられない。
「君が手当てしてくれてるんだ」
どうもありがと、と布団から右手をだして、ライルはそれを振る。それは彼女に対する友好的態度でもあるし、まるで降参の態度でもあるようだった。フェルトはそれに対して何も解答をしめさない。
「具合はどう?」
「今のところ自覚症状は背中やら胸やらが痛むくらいかな。打撲?」
「うん。特に大きな怪我ではないから、たぶん明日には普通に活動できるよ。念のため今日は安静にしていて」
ヨカッタ、ヨカッタ、とハロが抑揚のない声―この声がライルはあまり好きではない。それは彼をぞっとさせる―を発生させながらゆらゆらと近づいていった。ふっと緩むフェルトの表情を、ライルもまるでハロに微笑みかけるふりをしながら観察する。その微笑みの奥には何があるのだろうか。自分に対してむけられる、視線のさめていく具合を、彼はじっと見つめ続ける。そこには憎しみも、諦めも、もちろん愛情やそういう類のものも、何もかも存在しないような気がした。
「ミッションは?」
「無事に終わった。あなたが抜けたことによるプランの変更も問題なくね」
「何の問題なく、ね」
「…ごめんなさい、そういう意味じゃなかったの」
そういうフェルトの様子が、何だかとても幼くみえて、ライルは「いいよいいよ」と大人のように振舞った。「俺だってそういうつもりじゃなかったさ」彼の中に罪悪感は存在していないけれど、しかし背徳感を無視することはできないでいる。
そういえば彼女はまだ19歳なのだった。成人すらしていないのである。そんな少女をいじめるのは悪趣味だと、ライルは自覚しながらも、けれどそれでいて口から出ることばたちをとめることはできない。それはフェルトをとりかこみ、足元から彼女をおかしはじめていく。
「しかしえらいよな。任務とはいえ、こないだ君にあんなことをした男の看護をするなんてさ」
もう許してくれたの、と、彼が笑いながら問うと、フェルトのまわりの空気は時間をとめていった。彼女の目は、感情を浮かべることなくこちらをみているけれど、しかしそれでいて、フェルトを包んでいる空間は死んでしまったようなのだった。硬く、そして強く。死んだものは、よみがえらない。
「勘違いしないで」
ゆっくりと彼女が口をひらいたとき、すでにライルはフェルトから興味を喪失させてしまっていた。彼の今の興味の対象はこのあとの食事のことなのだ。右手の指を確かめるように動かしながら、それでもライルは彼女に耳をかたむけるふりをした。それは、最低限の礼儀の上での行為だったかもしれないし、もしかしたら彼の根底でうずまいている暗くふちどられた感情たちのせいなのかもしれなかった。けれどそれをライルに教える人間は、ここには誰もいないのだ。
「確かにあなたを助けたけれど、私はあなたを許すとか、許さないとか、そういう感情に流されて助けたんじゃない」
器具を整理し、ひとりで自分のベッドの元へ近づいてきたフェルトを、ライルはとても強い少女だと思った。強くて、そして何とも愚かだ。
互いが互いを目にやどらせ、ふたりは対峙している。たとえばここでフェルトがライルの首へと手をのばすだとか、またライルがフェルトのからだを無理やりひきよせるだとか、そういう行動をふたりは簡単にとれたのだが、けれど彼らはそのようなことをしないのだった。ライルはフェルトの言葉の続きを待ち、フェルトはライルに意思を伝える。世界は案外シンプルにできている。
「あなたが、ロックオン・ストラトスだから。だから私はあなたの手当てをしたの。たったそれだけの話よ」




それだけの話
(ライルとフェルト/20081111)