※一期後で二期よりの話です 「何だか今ならわかる気がするの。クリスが本当はあんまり、ロックオンのこと好きじゃなかった理由が」 私がそういうと、ティエリアはその綺麗な目を少しだけ見開いて、こちらを見るのだった。水を飲み込み、タンブラーを口から話すと、ようやく彼は口を開く。 「僕には、そうとは感じられなかったが」 「それは、クリスがそういう風にみせてたからだよ。彼女は私たちが思っているよりずっと大人だったんだと思う」 手にしていたタンブラーを口に運び、中にいれていた水を飲み込んだ。そうか、と、彼は納得したように頷いて、そして微笑む。その表情をクリスがみたら驚いて、そして嬉しそうに笑い返すのだろうな、と私は想像する。ティエリアの不慣れな笑顔を見るたびに、私はそう思うのだった。 この様子だとティエリアはおそらく知らないだろう。クリスやロックオンが私たちにやさしかった理由も、その理由がふたりとも決して同じではなかったということも。けれど私は、それを彼に伝えようとはしないのだった。「ロックオンって、ずるい人」以前クリスが言っていた言葉を、私も頭の中でゆっくりと繰り返す。ずるい人、だった。 「差支えがなければその理由を聞きたいな」 「…ロックオンって、ずるい人だったから」 やはり私は、それを何とでもないとでも言うような顔をしながら、口に出して繰り返すのだった。クリスの大人びた表情(実際彼女は大人だったのだけど)が脳裏をよぎる。私はいま、どんな表情をして、ティエリアに話しかけているのだろうか。彼女と同じような表情をしているのか、それともぎこちない表情をしているのか。彼の美しい瞳にうつる自分は、あまりに小さくて、そんなことまではわからないのだった。 「でもね、私はふたりとも同じくらい好きだよ」 「…言わなくたってわかる」 「ならいいの」 そっと微笑んで、私はこの話題を終わりにした。ティエリアには問いかけない。それこそ、そんなこと聞かなくたってわかるのだから。 最近わたしたちは、こうやって、彼女たちの話をしてばかりいる。クリスにロックオン、リヒティにドクターモレノ。きっと、不安なのだ。思い出すのに時間がかかる日がきてしまうことが。最後に、みんなのことを忘れてしまうことが。でも私たちは知っている。その日は避けようがなくて、いつか必ずおとずれるということを。 私はティエリアと話をする以外にも、どうにかして彼らを自分の身にとどめておこうとしている。無駄な抵抗だとわかっていても、しなければならないのだった。ロックオンのうまれた街にいってみたり、クリスの好きだったコロンを買ったり、リヒティが教えてくれた地上の遊びをためしてみたり、ドクターモレノに言われたいいつけをひとつひとつ丁寧に守ったりして。その行為は、やさしくて、あたたかくて、何だか残酷だと思う。 私たちはいつか忘れてしまったときのために、ゆっくりと準備をしている。のこされたものたちにできるのは、これだけしかないのだ。 「そうだ。ねえティエリア、手伝ってほしいことがあるの」 * ティエリアを連れて私が向かったのは、新しいトレミーに用意された私の部屋だった。殺風景な部屋は前のデザインとかわらない。変わったのは、カラフルな洋服と、たしなみ程度のお化粧品が少し増えたことくらいだ。 「何をすればいいんだ?」 「こないだ地上にいったときに、これを買ったの。マニキュア。クリスが前に使ってたものに似ているんだ。彼女を真似してぬってみたんだけど、右手にうまくぬることができなくって」 左手はそれなりにぬれるのだ。クリスの見よう見まねだけれど、先を縁取るように細く色づけ、それから縦に薄くぬっていく。かわいたらそこに重ねて、どこにもふれないようにじっと待つ。それをひたすら繰り返す、根気のいる作業。けれど、右手ではそれをうまくぬることができなかった。はみだしてしまったり、ぐしゃりと、歪んでしまうのだ。 私は手袋をはずしたあとに両手を開いて、ティエリアに差し出した。彼はそれをじっと見つめた後、笑うこともなく、えらく真面目そうな顔をして呟く。私はティエリアのそういうところがかわいいと思う。 「そんなこと、僕ではなくミレイナにでも頼めばいい」 「それじゃ駄目。これは、ティエリアじゃなきゃ駄目なんだよ」 しばらくティエリアは私の目を見つめていた。私も彼の目を見つめ返す。そこには「動」はなく、「静」しか存在しないのだった。私たちはいつもそうだ。ふたりの間には、「静」ばかりがただよっている。沈黙は続く。 やがて「どれをぬればいいんだ」と、その空間を破壊したのはティエリアだった。私は薄いピンク色をしたマニキュアの瓶を彼に手渡す。それは彼の手の中で、少しだけころころと転がった。 マニキュアのふたを開けると、つん、というきついにおいがした。こんなものを彼女は毎日つけていたのだ。私は自らの指をみつめる。ティエリアもそれを見つめている。以前、クリスに塗ってもらったそれは、とうのむかしにはげてしまっていた。 ティエリアがそっと、私の手を左手でとる。彼の手は、私の手よりほんの少しだけ冷たい。 * 仕上がりは散々だった。 もともと、ティエリアは器用な人間ではない。ビンから筆をとりだし、散々ふちで液体をおとしてから爪にのせるが、まっすぐ線をひくことができないのだ。ぐに、と曲がったり、乾かないうちに重ねてしまい、ぐしゃりとかたまりができてしまったりしている。私が自分でぬるのと、それは大差ないものになっていた。 「…だから言ったんだ」 「クリスがみたらきっとわらうね」 それでも私は微笑んだ。幸福そうなふりをして、微笑んだのだった。私は何だか、とても満たされたような、あたたかい気持ちで溢れてしまったのだ。 クリスはどのくらい練習したのだろうか。あと何度失敗すれば、私たちは彼女のように美しく爪を彩ることができるのだろうか。つるつるとしていて、滑り落ちそうなほど綺麗だった彼女の指先を、私は思い出している。 「ティエリアには私がぬってあげるね。きっと私のほうがあなたよりうまいよ」 「否定はしないが…遠慮しておく」 私は指をぴんとのばし、ティエリアが色をぬってくれた爪をみつめた。ぐにゃぐにゃになった、お世辞にも美しいとは言えないそれを、私はとても愛おしいと思っている。 さなぎたち (フェルトとティエリア/20081005) |